006班
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Browsing 006班 by Author "木村智哉"
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- Item梅森北城跡(中部大学, 2025-05-21) 木村智哉梅森北城跡 由緒 此の城址(城の跡地)は天文癸巳(みずのとみ)二年西暦一五三三年三河の国、碧海郡佐々木の城主松平三蔵はこの地に城を築き居城とした。 この城は梅森北城と称され、東西に四十間(25.452m)、南北三十二間(58.176m)と古い記録に記されている。(梅森に伝わる『邑事細見禄』及び『尾張誌』などによる。)松平三蔵は深く真宗を信仰し天文戊戌(つちのえいぬ)7年(西暦1538年)三月、三蔵は菩提寺であった天台宗に属する桃延坊をこの地に移し宗を真宗に改め、号(呼び名)を眺景寺とし、次子の高照を剃髪させて、名を道西と改め本寺の住職とした。(眺景寺誌による。) 昭和5五七年二月吉日
- Item梅森北城跡(中部大学, 2025-05-21) 木村智哉梅森北城跡 由緒 此の城址(城の跡地)は天文癸巳(みずのとみ)二年西暦一五三三年三河の国、碧海郡佐々木の城主松平三蔵はこの地に城を築き居城とした。 この城は梅森北城と称され、東西に四十間(25.452m)、南北三十二間(58.176m)と古い記録に記されている。(梅森に伝わる『邑事細見禄』及び『尾張誌』などによる。)松平三蔵は深く真宗を信仰し天文戊戌(つちのえいぬ)7年(西暦1538年)三月、三蔵は菩提寺であった天台宗に属する桃延坊をこの地に移し宗を真宗に改め、号(呼び名)を眺景寺とし、次子の高照を剃髪させて、名を道西と改め本寺の住職とした。(眺景寺誌による。) 昭和5五七年二月吉日