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- Item山田才吉翁頌徳碑(中部大学, 2025-05-16) 岩瀬奈々香⼭⽥才吉翁ハ美濃の⼈嘉永五年⼋⽉⼗九⽇岐⾩に⽣る磊落豪放にして 英才⼤度あり其趣味の豊富なる夙に世⼈の熟知する所なり就中 義⼤夫ニ⾄りては遠く愛好家の域を超え⼀たひ之を⼝ずさんでいたのは(口ずさめば?)胸中の 懊悩忽にして解消せらると云ふ殊に建築造庭の如きハ着想頗る不可巧にして 為に⼈の意表に出つ⼜夙に味覚に精通して⾃ら庖府を司り以て終⽣の皐と 為す翁嘗て名古屋ニ⼤宴席の設なきを歎し明治⼆⼗九年市の東郊に豪壮 華麗なる層閣を築き名けて東陽館と称す当時中京の歓楽場として⽇夜 殷盛を極めたり然惜い哉明治三⼗六年祝融の災に罹りて全地烏有に帰す後 之に代ふるに南陽館を以てし之を東築地ニ建つ⼜⽇本ライン河畔ニ北陽館を知多 半嶋に聚楽園を築造し⾃ら之を経営して以て今⽇に曁へり聚楽園既(頭?)に建設を迎えたる ⼤仏尊像の如きは東洋随⼀の称を専らにし⻑々に翁の偉才を顕彰せるものと 謂つへし⼜翁は公□(職?)者として県市会議員及名古屋商⼯会議所議員となり 実業家として愛知県五⼆会幹事⻑より会⻑に累進し今⽇に⾄るまて粉骨 砕⾝地⽅産業の発展に貢献し名古屋瓦斯株式会社の創設ニ尽瘁専ら 殊功あり築地電気鉄道を布設して交通の利便を図り名古屋罐詰会社を 起して軍需品補⾜の任を完ふし中央市場を建て⽇⽤物資の需給を 円滑ならしめ其他教育⽔族館の設⽴中京新聞の経営等社会公共事業に 寄与せられたるもの数ふるニ遑あらす今や齢⼋⼗有⼆を算するも尚矍鑠として 壮者を凌き孜々として倦む所をしらす是其実に⼤名古屋建設の先駆者にして 世⼈の尊敬措く能はさる所以なり宜なる哉本市は翁の功労を賞し⾦壱千円を 贈らる亦以て翁の徳碑なれるを知るに⾜らん曩に愛知県五⼆会⼀致の決議を以て 翁の寿像建設の計画に弘く同然の協賛を得てそや其竣⼯を⾒るに⾄れり 依て茲に之を誌し翁の英姿を千載に仰き翁の偉徳を万世頌すと云爾 昭和⼋年⼗⼀⽉ 貴族院議員正四位勲⼀等阪本釤之助篆額 名古屋市⻑勲三等⼤岩勇夫撰 ⾦文□□堂