南無千手観世音菩薩碑
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Date
2025-06-19
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中部大学
Abstract
表:嵐の跡、前⽥か祢さんがいつものように、この千⼿観⾳さまにおまいりに来ますと観⾳さまが倒れていましたので三⼈の学童に⼿伝ってもらい、元の位置に直しました。そしてか祢さんはそのよい⼦らに百円づつごほうびしようとしましたが三百円持っていたはずなのが⼆百円しかなかったので探しているとなんと⼆万六千五百円⼊りの包が落ちていました。正直婆さんのか祢さんは直ぐに警察に届けましたが 期限がきて お金はか祢さんものになりました。か祢さんは観⾳さまのさずかりものだからとて観⾳さまの修理にあてるようにと更に⾃⾝のお⾦を千円たして区に託しました。区⺠は感激し、呼びかけて区⺠から⼗三万円余円が集りこの堂宇は再建されました。実に珍らしい今の世相ゆかしい話で後世に語りついで鑑としたいものです。
昭和三⼗九年⼗⽉ 多治⾒市⻑ 加藤鐐⼀
裏:昭和三⼗九年八月吉日 堂宇再建願主 前田か祢 発起人 水野一久 紀藤重吉 水野京次郎 水野與四平 大帝菊平 水野嘉郎 協賛区民一同 二福寺十四世層山代
Description
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"Title": "南無千手観世音菩薩",
"Creator": "HI23069 林優希",
"CreatedDate": "2025-05-29",
"StoneMaterial": "花崗岩",
"StoneQuality": "ザラザラ",
"InscriptionText": "表:\n頌徳碑\n\n嵐の跡、前⽥か祢さんがいつものように、この千⼿観⾳さまにおまいりに来ますと観⾳さまが倒れていましたので三⼈の学童に⼿伝ってもらい、元の位置に直しました。そしてか祢さんはそのよい⼦らに百円づつごほうびしようとしましたが三百円持っていたはずなのが⼆百円しかなかったので探しているとなんと⼆万六千五百円⼊りの包が落ちていました。正直婆さんのか祢さんは直ぐに警察に届けましたが 期限がきて お金はか祢さんものになりました\nか祢さんは観⾳さまのさずかりものだからとて観⾳さまの修理にあてるようにと更に⾃⾝のお⾦を千円たして区に託しました。区⺠は感激し、呼びかけて区⺠から⼗三万円余円が集りこの堂宇は再建されました。実に珍らしい今の世相ゆかしい話で後世に語りついで鑑としたいものです。\n昭和三⼗九年⼗⽉ 多治⾒市⻑」 加藤鐐⼀\n\n裏:\n昭和三⼗九年八月吉日\n堂宇再建願主 前田か祢\n発起人 水野一久\n\n紀藤重吉 水野京次郎\n水野與四平 大帝菊平\n 水野嘉郎\n協賛区民一同 二福寺十四世層山代\n",
"ErectedDate": "1964-08-01",
"SteleCreator": "多治見市長 加藤鐐一",
"Other": "辺りは川原となっておりベンチなどがおいてある。\n\nなぜこのような石碑を建てたか\n考察:文面を見る限り、おそらくこの場所を再建した人々を称えるために記念に建てられた石碑であると考えられる。\nまた深く考えるとこの時期には東京都議会黒い霧事件といった汚職事件があり、その時代背景からこの事件に対する抗議の意味もあると考えられる。",
"LocationName": "千手観音菩薩",
"Latitude": "35°19'45.1\"",
"Longitude": "137°07'05.0\"",
"ReferenceURL": "https://myttline.jp/archives/11567 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E7%A6%8F%E5%AF%BA",
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"Persistence": "恒久的",
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